2012年08月10日

灰色の世界

 1年ぶりに会う彼女は、淡い水色のワンピースを着ていた。彼女の白い肌によく映えて、昔と変わらずにどこか幼く、可愛らしいままだった。
 私の顔を見るとすぐに、彼女は瞳を輝かせ、私の名前を呼びながら駆け寄ってくる。
「久しぶり。元気だった?」
 「うん」と小さく頷く。続く言葉が思いつかず、私は黙ってしまう。私の思いにも気付かず、彼女は私の着ているものに興味を示したようだった。
「このスカート、可愛いね」
 彼女は手触りを確かめるように細い指で私のスカートを摘む。
 そうして、それが当然であるかのように笑顔で私に尋ねる。
「ねえ、これ、何色?」
 大学に通うために、1年と少し前に離れた故郷。ここに戻ってきたのは、二日前の母からの電話が原因だった。母は私が電話に出ると、今目の前にいる彼女、私の幼馴染のことを口にした。
「白黒に? それって、緑内障じゃなくて……えっと……」
「全色盲って言うらしいわよ。色を、識別出来ないんですって」
 唐突な内容に、私もびっくりしてしまう。彼女の目に、異常が見つかった? 物が、白黒に見える? 母はそのようなことを聞いたらしく、近所の井戸端会議で知っただろう情報を、私に伝えてきた。
「でも……、それって生まれつきとかが多いんじゃないの? よくは知らないけど……」
「今、眼科で詳しく調べてもらってるんですって。ストレス性のものかもしれないって。心配よね」
「……そう」
 ストレス性と聞いて、少しだけ胸が苦しくなる。実家を出てから、私はなるべく彼女と距離を置くようにしてきたから。
「ねえ、帰ってこれないの?」
 そう言われて、カレンダーを見る。いつもならバイトや友達との約束が入っている週末。……私の予定を知っているかのように、今週末だけ真っ白だった。
「……帰るよ」
 ここまで計算されているなら、仕方ない。きっと、帰るべき運命なんだとそう思い、私は電話を切ったのだった。
 
「ねえ、良子と連絡取ってる? 彼女就職してねー……」
 彼女の部屋に通されて、彼女と話をする。1年半前までは毎日のように通った小さな部屋は、私が居た頃と何も変わってなかった。彼女は共通の友達がどうなったか、知っている範囲で教えてくれた。私はただ、相槌を打つだけに徹していた。
「……高校の時の教科書くらい、捨てなよ」
 机の上の教科書まで、あの時と同じで、私は思わずそう言ってしまっていた。
「いいじゃない、別に新しく代わりに置くようなものもないし」
 彼女は地元の専門学校に通い始めたものの、2ヶ月も持たずに辞めてしまい、そのあとは時々アルバイトをするというフリーターとも言えないような生活をしていたらしい。
「何か、勉強したら? 時間はあるんでしょ?」
「んー。そうだね。でも、勉強嫌いだからなー」
 彼女はそう言って笑いながら私にもたれ掛かってくる。彼女のストレートの長い髪が、私の手にかかる。
「全く……」
 私はため息を吐きながら、彼女の髪を手で透く。そうしてはっとして、彼女の髪から手を離す。
「……どうしたの?」
「いや……、えっと……」
 思わず、引きずられてしまった。彼女があまりにも昔と変わらなくて、あの時に帰ってきたかのような感覚に陥ってしまう。
 そんなわけ、ないのに。あれから、もう1年以上も経ってるのに。私は、明日にはもう帰らないといけないのに。
「私、変わった?」
 思わずそんなふうに彼女に尋ねてみる。
「うーん、雰囲気はちょっと変わったかも」
「髪も染めたんだよ」
「そうなんだ。それは知らなかった」彼女はそう言って私の髪をなでる。「綺麗な色なんだろうね」
 言われて、やっと私はここに来た目的を思い出す。彼女があまりにもそのままで、普通に生活を送っているから、つい忘れてしまっていた。
「本当に見えないの?」
 嘘かもしれないとも、思う。周りの気を引くために彼女が嘘を吐いたのだとしても、おかしくないとは、思う。彼女は一人っ子で、わがままで、どこか弱いところがあったから。
「色のことね。……見えないんだ、残念ながら。疑ってる?」
「……ちょっと」
「色に、明度ってあるでしょ。私に見えるものには、全てに彩度がないの。なんとなく、わかる?」
「それは、わかるけど……」
「例えば私の着ているワンピースと、君の着ている薄い色のついたブラウス。どっちの明度が高いかなんてわかんないでしょ? 私には少しだけ、私のワンピースのほうが白っぽく見える。そういう細かい質問を、眼科の先生が細かくしてくれたの。色の付いているらしいプレートを持って」
「…………」
「少しは、話に信憑性が出てきた?」
「……うん」
 目のことに関しては、まぎれもなく本当のことなのだと思う。お医者様に掛かって、テストまでしてもらったなら、私には疑いようもない。
「ねえ、灰色の世界って、どんな感じ?」
「んー、どんなって言ったらいいのかな」
「退屈?」
 わざと、そんな風に尋ねてみた。彼女が退屈で、寂しがっているのはわかってる。
 時々アルバイトに行くだけで、周りからは置いていかれて、耳に入る話は全てお母さんから聞いたもので、誰とも遊べなくて、ついには色のついた世界さえ失って。
「そうだね、退屈かも」
 彼女はそう言って力なく笑って見せた。寂しいとは、言われなかった。
 
 次の日、彼女と二人で通い慣れた通学路を歩いた。小学校への道、少し戻って中学校への道。それから、高校への道。この街はすごく田舎で交通の便が悪いから、この辺に住んでいる子のほとんどが、同じ高校へと進む。選択肢的には3つくらいのもので、だからこそ私たちは成績に雲泥の差があっても同じ高校に通うことか出来た。
「この辺りは変わらないよねー。変わっても、びっくりするけど」
 ぼろぼろになった道路も、伸びきった雑草も、ガードレールの汚れも、何一つ変わらない。きっと、空気もそう。もう少ししたら大きな声で蝉が鳴き始めて、たまにアイス売りのおじさんがこの辺りを練り歩く。
「あ、でもね、ちょっとだけ変わったんだよ。この間の地震で、瓦屋根が落ちちゃったから、瓦屋根の家は減ったの。ほら」
「……ほんとだ」
 昔からこの辺りは、瓦屋根の大きな平屋が多かった。けれど、見ると屋根だけがどこか真新しく作りかえられている家が多い。小さな変化は、この街にも訪れているようだ。
 私が県外の大学への進学を決めた理由はいくつかある。一つは、大学に入ったら一人暮らしをしたいとぼんやりと思っていたこと。それから、彼女と離れたかったこと。
 私が彼女に抱いている感情は、ただの幼馴染への友情ではない。もっと、深くて重い物。知られたら傍には居られないかもしれない、ガラスみたいな感情。その想いを私は、ずっと隠してきた。けれど、彼女は違う。遊びで抱きついて、手を繋いで、くっついて……、その関係が私には苦痛になってしまった。
「ねえ、彼氏とか出来たの?」
 ……それから、こういう無神経なところも。
「いないよ。どうして?」
「そうなんだ。可愛くなったから」
「気を遣うようになっただけだよ。それだけ」
 化粧をして、髪を染めて、毎日服を選んで。制服だけ着てれば良かったあの頃には戻れない。
 けれど隣に居る彼女は、あの時と全く変わらなくて、髪型も同じで、肌もすべすべのままで、化粧もしてなくて……、あの時と同じままでここに立っている。だからこそ、錯覚しそうになる。今から彼女の家に向かって、また夜までごろごろして、明日になったら制服を着て高校に行って。体には染みついたままのあの習慣に、すぐにでも戻れるような気がしてしまう。
「何時の電車で帰るの?」
「……13時20分」
「あー、そっか。もうすぐかぁ……。おなかすいた? ご飯食べてく?」
「……いらない」
「ねえ、大学って大変? どんなところ?」
「私のことはいいから!」
 思わず、声を荒げてしまう。何故だかわからないけど、私はすごく苛々していた。
「自分のこと、考えなよ。これからどうするの。目のことだってあるのに」
「……私? うーん、アルバイトはとりあえず辞めたよ。病院通いだと迷惑かかるし」
「うん」
「あとは病院通って、検査待ちかなー。わかんなかったら、もうちょっと大きい病院に検査に行くのかも」
「……将来の、ことは?」
 私がそう言うと、彼女は少しだけ悲しそうな顔をして、それから困ったように笑った。
「わかんないよ。でもね、一人っ子だから、もうちょっとは子どもで居てもいいって両親が。こんなことになっちゃったし」
「……そう」
 灰色の世界。まるで彼女の生活みたいだと思った。
 目標も夢もなくて、遂には病気を患って、大義名分まで手に入れてしまった。
「やりたいこととか、ないの?」
「……わかんないよ」
「そう」
 それ以上は、聞かなかった。聞きたく、なかった。
 何も言わずに、駅までの道を歩いて行く。これからこの場所は、もっともっと暑くなるだろう。広大な田んぼはこれからもっと葉を伸ばして、一面を緑に染め上げていく。除草もこれからどんどんしなきゃいけなくなって、村の人は外に出て、作業が終わったら毎日のようにお茶をする。都会に出て行った私のことも、病気を患って引きこもったままの彼女のことも、その人たちの話の種の一つに過ぎなくなる。
 私のことも彼女のことも、何も知らない癖に。
 私の気持ちなんか、誰も知らない癖に。
 寂れた駅が見えてきて、私は彼女のほうを向く。
「もう、ここでいいよ」
 ずっとへらへら笑ってきただけの彼女が、初めて悲しそうな顔をしてみせた。
「なんで、そんな顔するの?」
「だって、そんなこと言われたら悲しいよ」
 「悲しいなら、どうして……」そんな言葉を言ってしまいそうになって、思わず唇を噛んだ。
「昨日ね、灰色の世界ってどんな感じって、聞いたでしょ?」
「……うん」
「私ね、最初に……こんなふうにしか見えなくなった時にね、君がいない世界みたいだなって、思ったんだよ」
 嬉しいという感情と共に、いろいろな感情が溢れてきそうになる。そんなふうに、思ってくれてるなら、どうして。
「じゃあ、どうして私と一緒に居ようとしてくれないの?」
「……え?」
「どうして、私と一緒に居たいって言ってくれないの? どうしてそういうふうに、努力をしてくれないの?」
 こんなの、八つ当たりだってわかってる。私が勝手に、彼女と距離を置いたのに。
「なんだってできるじゃない! こんなところに引きこもってないで、閉じこもってないで、もっともっと、いろんな道を探せるじゃない!」
 私が勝手に、都会に出て行ったのに。
 わかってる、違うんだ、最初から。私は期待してたんだ。彼女が私を追いかけて来てくれること。もしくは、都会になんか行かないでって言ってくれること。私の傍に居てって、言ってくれること。
 彼女は私が居なかったら生きていけるわけないって、どこかで思ってた。信じてた。
 だけど彼女はあっさりと、私の手を離した。一人で生きる道を選んだ。
 「元気でね」とそう言ってへらへらと笑って、私を都会へと送りだした。
 ずっとずっと、待ってた。彼女が連絡をくれること。離れても繋がって居られること。けれどそれは私の中の勝手な幻想で、彼女は一度たりとも連絡をくれなかった。……そう、距離を置いたなんて嘘だ。私はずっと寂しかった。彼女からの連絡が欲しかった。
「私と一緒に居たいなら……そういう道を選んでよ!」
 こんなこと、言いたくないのに。本当はただ寂しいって、そう言いたかっただけなのに。
 彼女は何も言わなかった。少しだけ悲しそうに目を伏せて、それからへらへらと笑って見せた。
「元気でね」
 1年と少し前。離れた時と同じ表情で、同じ姿で、彼女はそう言って、笑って見せた。

 自分のアパートへと戻ってきて、私は声を殺して少しだけ泣いた。けれど、明後日には提出しなければならない課題を思い出して、いそいそと机に向かう。
 涙のあとなんて化粧で隠せるみたいに、私の痛みや悲しみも、忙しさで上書きして隠せた。月末にかけてテストもあって、私はなるべく彼女のことを思い出さないようにしてきた。
 けれど、少しして……彼女は田舎の話題の輪の中から抜け出してしまう。……大きな病院で検査を受けなければならなくて、家族で引っ越して行ったのだと、母から聞いた。どこかで、母に聞けば彼女の情報はなんでも手に入ると思い込んでいて……、彼女はそうして、私の手の届かないところに行ってしまった。
 
 狭いアパートの部屋の中。窓を開けていても蒸し暑い空気しか入ってこない。クーラーはあるものの、世の節電風潮に耐えきれず、点けないようにしていた。玄関のチャイムの音が聞こえて、汗まみれで目を覚ました。
 こんな日に突然、朝早くにやってくるのは、新聞か宗教の勧誘だろう。私は居留守を決め込んでみる。万が一友達なら電話をかけてくるだろうし、宅配便なら声を掛けるか、不在票を入れてくるだろうし。
 テーブルの上に置いたままの、ケータイのベルが鳴る。
 
 ディスプレイに、彼女の名前が映った。



はっぴーえんどにするつもりなかったのになんかかんじょういにゅうしてしまってなんかこう
おぼえてろよじょうたい
posted by しょこ at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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