2013年07月12日

短冊

 私の願いってなんだろうと考えたら、手渡された短冊は、書けなかった。たくさんの願いが書かれた笹が私の目の前で揺れていた。可愛らしいハートマークを並べて、好きな人とのことを願う人もいれば、拙い文字で書かれた将来の夢もある。
 今の私には、どちらも、重い。
「大丈夫?」
 隣にいる友人が、私に尋ねる。彼女の短冊も、まだ白いままだ。
「行こっか」
 箱に短冊を戻し、彼女は歩き始める。私も、それに倣った。

 ちゃんと日中にこうやって遊びに出たのは久しぶりだった。世間はもう7月で、すっかり夏めいている。バーゲンなんかも始まって、すれ違う女の子たちはみんな色とりどりのショッピングバッグを持っている。
「あのね、短冊って、見られることを想定して書くものっていうか」彼女は突然そんなふうに切り出した。「別に、彼と仲良くなりたいって書いた子が、心の中に短冊に書けない願いを何も持ってないってわけじゃないと思うのよ」
「どういう……こと?」
「何も書けなかった私たちが、おかしいわけじゃないってこと」
 逆を言えば、短冊を書いた人たちが、無神経なわけじゃないって、こと。
 彼女の言葉が、胸に刺さる。みんな、思っていることを全て、言うわけじゃないってことも、わかってる。
 七夕。7月7日。大きな商業施設では、大きな笹を置いて、願いを書こうと人が賑わう。私も彼女も、去年なら何か書けたかもしれない。いや……去年ならそもそも、私たち二人だけじゃなかったかも、しれない。
 願いを書かないことが、喪に服すと言うわけではないけれど、とにかく今は……書けなかった。書けなかった、のだ。
「年に一度しか会えないって、寂しいことのように、思ってたけど」
 幼い頃に聞いた、「七夕物語」。織姫と彦星は、愛し合っていても、仕事をサボったせいで、年に一度しか会えなくなってしまった。今思うと、あの話の教訓とやらは、何なのか。
「寂しいことなんじゃない? やっぱり、会いたくても、会えなかったら」
「だけど、あいつら、死なないじゃない」
「あいつらって……」
「死なないじゃない。人間じゃ、ない。体を持って、生まれてきたわけじゃ、ない、じゃない」
 言うつもりじゃなかったのに、言ってしまう。声が、自然と震えた。
「そう……だけど」
「年に一度だけ……会えれば、いいじゃない」
 会いたいよ。
 年に一度だけだっていい。もっと言うなら、会えなくたって、いい。どこかで生きていてくれるなら。元気で、幸せに、笑っていてくれるなら。
 体がこの世界に、残っているなら。あの声が、考え方が、この世界に、残っているなら。
 それだけで。
「今日、誘わないほうがよかった?」
 ふさぎ込んでいた私を、今日誘ってくれたのは、彼女だった。来てよかったとは、思ってる……私は首を横に振る。
「あのね、話、最初に聞いたときね、私ね、すごくびっくりして、涙、止まんなくてね」
「……私も」
 実感が、湧かなかった。ただただ、辛かった。
「ご飯もね、食べれなくてね、でも、段々……お腹空いてきて、ご飯、食べた」
「……うん」
「その後も、しばらくは……いろんなこと思い出して、泣いて。過去の日記とか、いろんなの引っ張り出して……泣いて」
「……うん」
「あの子……言ってた、言葉、とか、声とか、いろんなの、思い浮かんで……消えなくて」
「……」
 彼女の相槌が、消える。それでも私は、言葉を続ける。商店街は、賑わっている。普通に歩いているだけの私たちの言葉は誰にも届かないまま、人々の笑い声にかき消されていく。
「二日か、三日くらい? すごくね、ふさぎ込んでたんだけどね、段々ね……考えられなく、なっちゃってね。仕事もあるし、段々、日常にかき消されてきて、泣く回数も、段々、減ってね。思い出す頻度も、段々……減ってね。減って……ね……だけど……それが、怖くて」
「……止めて」
 彼女の制止も聞かず、私は言葉を続ける。
「怖くて……、怖くてね……。当たり前の、ことなんだけどね、そうやって、歩いて行かなきゃいけないんだって、わかってるんだけどね、消えていくのが、私の手を、離れていくようで、怖くて」
「……だめ」
 ぎゅっと、彼女は私の手を取った。汗ばんだ、少しだけ熱い、手。
「だめ……かな」
「だめだよ。言葉にするのは、だめ。……だめ」
「……わかってる。ごめんね、こんなこと、言って」
 人の死は、いつだって、唐突に訪れる。みんな、そう。私だけじゃ、ない。だけど立ち上がって、また笑う。だけどそれが……死を悲しんでないことには、ならない。思い出して、少し、悲しくなることはあっても、また、笑える。
「だけどね、なんかね……うまく行かなくて、言ってみた、だけなの」
 余計なことまで考えてしまう性分なのか……、死を悲しむ以上のことまで、考えてしまった。それは時々は、いいことなのかもしれないけど、やっぱり生きづらい。
「……うん」
 彼女は小さく、相槌を打った。それ以上は、言わない。言わなくても、きっと、彼女なりにいろんなことを考えて……伝えないで、くれている。
 周りにはたくさんの、人。みんな何かしら、きっと、ある。そんなことは慰めにすらならなくても、そう思って、立ち上がるしか……ない。きっと。
 周りに他人がいるから、泣き出さずに済んでいるだけで。私も、彼女も、きっと。
「ねえ、短冊、書きに行こうか」
 彼女は私の手を引いて、そう言った。もと来た道を、戻りたいらしい。私は苦しくなって、俯く。
「……でも、叶う願いじゃないと、書いちゃいけない気がする」
「そんなことないよ。笹に書いたところで好きな人は振り向いてくれないし、子供の夢だって、九割以上は叶わないさ」
「それはちょっと……あんまりじゃない?」
「いいから」
 彼女と一緒に、さっきいた店まで戻る。テーブルにはグループで来た女の子たちが、わいわいと短冊を書き合っていた。彼女たちが去って、短冊を手に取る。隣にいる彼女は、私が元気になりますようにと書いていた。彼女は……生きている人間を、ちゃんと見てる。
「書けた?」
「……ううん」
 私は結局、何も書かなかった。書かないまま、短冊を笹に飾ろうとする。
「書かないの?」
「……あのね、願いはあるけど……文字にはしないことにした」
「そっか。じゃあ、名前だけは書かないと」
「……そうだね」
 私の名前だけが書かれた短冊。別に、私の願いはこの店に来た赤の他人に見せるためのものじゃない。
 だから……、これでいい。
「……ふふっ」
「どうしたの、突然笑い出して」
「なんかねぇ、誰かがあの短冊見て、願いが書いてないって言って、小さく書いてあるのかもとか裏返したりして見てる姿、想像したら面白くて」
 いつもはなんともないことが、なんだか今は面白い。悲しいのは収まらない。時間が解決してくれるのを、待つしかない。とりあえず今日はバーゲンに行って、可愛い夏服でも買おう。そしたら、きっとまた、外に出かけたくなるかもしれない。
「行こっか」
 この場所で、今度は私から、言う。
 君のいない、夏が来る。
posted by しょこ at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | SS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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